Cryptomeria

“日本を代表する杉種の最大径木群”


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屋久杉

樹齢1000年を上回り、屋久島に生息する巨樹の総称です。本格的に伐採が開始され始めたのは、1900年代以降です。1993年には屋久島がUNEUCO世界文化遺産に日本ではじめて登録されました。環境保護の観点から、現在では伐採が禁止されています。
現在出回っている屋久杉材は、かつての伐採された切り株や山に残る風倒木(土埋木)です。土埋木は近年まで採取、搬出が続いていましたが、2019年3月、林野庁が行う屋久杉のセリ市も終了し、ますます稀少になりました。特に瘤(こぶ)などの上質材の稀少性が高まっています。

屋久杉が自生する屋久島の環境

屋久島の地形は九州最高峰の宮浦岳(1935m)以降2〜4番目の永田岳(1890m)、翁岳(1860m)、黒味岳(1836m)がひしめきあっています。急勾配、高低差が大きい環境のため、山頂までの高度に応じて多種多様な植物が存在します。1914年、ハーバード大学の植樹園の為の収集に来日していたイギリス人プラントハンターE.Hウィルソンが、屋久島に調査に訪れ、その植生の多様さに感嘆したという記録が残っています。

世界遺産に登録された理由

①世界に類を見ない程の数多の植物種が集中していること。
天然林に樹齢1000年を上回る杉が生態系として群生していること。
雨量と台風の多い気候条件によって、このような特異な植生が生み出され、美しい景観を保っていると考えられています。
この気候環境に加えて、花崗岩の特殊な土壌環境が、群を抜く樹齢の杉が数多く自生するバックグラウウンドになっています。

過去の文献に見られる屋久杉

豊臣秀吉(1537〜1598年)が、方広寺の大仏殿建立の際、建材利用を目的として、薩摩藩の島津氏に屋久杉の調査を朱印状で命じた(1587年)という逸話が残っています。『屋久島置目』という文献の第4条に「大仏殿用の木材を調査した時に記録された木は、そのまま残しておくように」とあり、実際に調査が行われたことが裏付けられています。巨木の運搬に耐えられる大型船が用意できなかったため、実際には板や柱などの加工材が運ばれたのではないかと考えられています。
また、1687年に出版された笑話本『はなし大全』の中の『牛ほめ』の中に、屋久杉が「薩摩の鶉杢」という表現で登場します。これらから、江戸時代頃にはすでに貴重な材木種として全国的に名前が通っていたことが推察できます。

さいごに

自生する環境や世界遺産登録、登場する過去の文献など屋久杉について複数の観点から見わたしました。過酷な環境が屋久杉材の杢を作りだし、その杢の噂が秀吉公の耳に届いたことは事実ですが、材木としての屋久杉の良さを知るには、実際に目や手で触れるしかありません。樹木だけでなく材木として活きる屋久杉に目を向けてみると、また異なった側面から屋久杉の神秘を覗きみることができるかもしれません。

 

※屋久杉の鶉杢