表題に惹かれて手に取りました。
この本では、「森」という言葉が「社会(=世界)」という意味で、比喩的に使われています。
なので、表題の“森を見る力”というのは、
言い換えると“社会を見る力”という意味になります。
社会というのは、わたしたちが生きる現代社会という意味です。
そして、
本の中では、テクノロジーの進歩(インターネット)によって
“社会を俯瞰して見る力”が失われつつある
という流れで話が展開されています。
むかしは、『目的地』まで辿りつくには、
お金、時間、人の協力、知識、経験などの多くの資源が必要だった。
つまり、一見無駄にもみえる、色々なコトやモノとのつながりを通して、
目的地に着いた。
そのため、目的地に向かうプロセスで、自然と“俯瞰力”が身についた。
(=目的地と自分と他者との関連性の把握ができた)
しかし、
現在のテクノロジーの進歩によって
そうした資源がなくても、
各個人が直接、簡単に『目的地』にたどり着ける社会になった。
そのため“社会を俯瞰して見る力”が失われつつある。
こういった主旨でした。
以下、心に刺さった内容ふたつを引用しています。
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①『サービスの画一化がもたらしたもの』
かつて世田谷に、充実した品揃えと、外国の新しい食材などを輸入して、地域のお客さんに喜ばれていた食品店があった。
その店は、お客さんの意見を丁寧にフィードバックして、快適な店舗空間に育て上げていった。
それが評判になり、その店のブランドで、他の地域にも展開をはじめた。
急速に拡大したために、経営が破綻し、投資ファンドに経営権が渡った。
新しい経営陣は、その店が長年築いてきた経営ノウハウは無視して、結果だけをブランドにして、全国各地に展開して成功している。
インターネットが始まった頃、あるコンビニエンスストア企業のホームページ立ち上げプロジェクトを手伝ったことがある。
その時に、役員の方が言っていたのは、「コンビニというのは、例えばある店でお客さんから、こういうサービスを提供してくれというフィードバックがあっても、簡単には対応できない。その店だけ対応したら、他の店でやっていないと、今度はクレームになってしまう。全国一律のサービスしか出来ないところが問題なのです」と。
地域の店は、地域の人たちと一緒によりよい店作りを創造してきた。
それが全国展開のチェーンストアになると、別次元の成長はあっても、その地域に則した成長は望めないのだろう。
経営を拡大し、スケールメリットを追求し、売上高と利益率の最大化を目指す運動が、あらゆる業界にはびこっている。
しかし、それでは「ものを作る」「心を伝える」という根本的なモチベーションが欠如した、機械的なルーチン作業だけが残ってしまうのではないのか。
現在は充実していても、そこから先に進めるのだろうか。
作った人、売っている人の見えない商品構造は、どこか不気味な未来を拡大していく。
現代の経営陣は、まるで、試験の点数だけをとるために勉強して、何のために勉強しているのかという疑問を感じていない優等生のように見える。一体、誰の幸せのために事業を展開しているのだろうか、僕には分からない。
橘川 幸夫(2014)『森を見る力』晶文社
(P97-98)
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②『中間マージンの今後』
2001年、私は『インターネットは儲からない!』(日経BP社)という単行本を出した。
この表題は、単にインターネットバブルを揶揄したわけではなく、「インターネットは近代のビジネス構造を超える」という意味である。
近代とは、内燃機関の開発によって交通が発達し、先進国が世界に進出した時代である。
貿易と戦争によって地域国家間の交流は促進し、それまでの地域に根ざした家業的な仕事や産業が、世界規模での近代ビジネスとして発展した。
近代ビジネスの本質は「間に入ること」である。
アフリカの鉱物をヨーロッパに運び、手数料を取る。
原材料を加工して商品化し、加工手数料を取る。
生産された商品を市場で販売して、販売利益を得る。
出版業界も同じである。
知識人の知識を書籍というメディアを通して、知識を持っていない大衆に販売して、中間利益と取る。
異なる地点同士に入って、手数料を取るのが、近代ビジネスの本質だろう。
世界が広がれば広がるほど近代ビジネスのスケールは拡大した。
しかし、インターネットというのは、そうした近代の本質を否定するものである。
異なる地点同士を直接、回線で結ぶ。
すると、航空会社や宿泊施設と旅行者の間に入っていた旅行代理店の役割が減少した。
情報源と情報受信者との間も直接つながってしまい、多くの情報出版と呼ばれているジャンルが衰退していった。
生産者と消費者を結ぶ流通業界も淘汰がはじまり、巨大流通企業が誕生したが、小規模な酒屋や洋品店は消えていった。
インターネット上でも、巨大な流通企業が誕生したが、最終的には、これらも物流産業としてでしか生き延びられないだろう。
なぜなら、インターネットは、最終的には、ひとりひとりを結ぶP2Pの方向に進んでいるからである。
いわゆる「中抜き」の構造である。
橘川 幸夫(2014)『森を見る力』晶文社
(P212-213)
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以上がグサッと刺さった興味深い記事でした。
インターネットやテクノロジーの進歩によって
多くのものが、とってもはやい速度で移り変わっていると感じています。
そういう時代背景の中で
どのように、木の良さを捉えて
どのようにして表現していくかがこれからの課題だと感じています。
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